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棒10

 ウィキペディア(英語)の棒10のページ

棒10は重荷のカード。

人の一生は 重荷を負うて、遠き道を行くがごとし 急ぐべからず ~徳川家康

う~ん、ここは、日本中の乙女(心が乙女の人を含む)のための占いサイトやから、スカーレット・オハラの方が、ええやろな。

つらい重荷をはこぶのも、もう二、三日の辛抱よ
軽くはならぬ荷物なら 重い軽いがなんであろ
よろめきながらゆく道も もう二、三日の辛抱よ
 ~「風と共に去りぬ」より

スカーレットが、産後間もないメラニーやその赤ん坊、自分の小さな子どもを連れて、戦火の中、命がけで、故郷を目指すとこで、彼女の頭の中に浮かぶ歌詞なんや。
そやけど、事態は、ほんまは、「もう二、三日の辛抱」などでは、のうてな、敗戦という過酷な状況下で、これからの彼女には、生き抜くために戦い続ける他はないんや。そやけど、まだ、スカーレットはそのことを知らない・・・。

ところで、Rider Waite Tarotの棒10の人は、腰を曲げ、頭をつけて、ただただ、棒を運んではる。
彼が向かってる先には、緑に覆われた美しい街が描かれてるから、棒を運ぶことは正しいことなんやろな。
ひょっとしたら、彼は、人として、この棒は運ばないとあかんのや、と心に決めて、運び始めたのかもな。

そやけど、今の彼には、向かうべき街は、全く目に入ってへん。
運ぶだけで、いっぱい、いっぱいで、頭を上げることすら、でけへんでいるんやから。
他のことは、もう、何一つ、考えられへんのかもな。

こういう時は、やっぱり、「まずは、一度、荷物を降ろしてみ」、や。
「無茶をするな、なんて、無茶なことを言わんといて。私の立場、わかってへんのか」ってお叱りの言葉が飛んできそうやけどな。

でもな、「こうこうこういうことがあってな、もう、ほんま、かなんわ。」そうやって言葉に出してみるだけでも、ええんとちゃうか。
「そりゃ、大変やなぁ。身体に気をつけて、がんばりや。」って返事は、心を少し和らげてくれるかもな。
それに、ひょっとしたら、「私の親戚に似たような目にあった人がいて、その時は、こうこうこんなふうにしたんや。」って話が、聞けるかも知れへんで。
そしたら、それをもとに、ネットで情報を求めたり、市役所の窓口で相談したりってことにもつながるかも知れへんで。

一人で、ふらふらになりながら、棒を運んでる、ちょっとその状態をチェックしてみてな。
いっしょになって、その棒を運んでくれる人、ほんまにいてへんのか。
そもそも、ほんまに運ばなあかんもんなんか。

それは、ばらばらのままで運んでた棒を結束して肩に載せることなんかもな。
運ぶのは同じでも、だいぶ、楽になるやろし、周りの様子も見渡せるようになるで。

ほんまにそれが「軽くはならぬ荷物」やとしても、顔を上げて、前を見ることができるなら、スカーレット・オハラみたいに雄雄しく、「Tomorrow is another day !」って言ってのけることもできるんかも知れへんで。

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あさりまんま

春の兆しを感じ始めると、あさりの季節がやってくるなぁ。

定番は、お味噌汁や酒蒸しやけど、あさりまんまもええで。
豪華な外見に似合わず、簡単やから、おもてなしにも向いてると思うわ。
お酒のあてには、ならへんけどな。

私のレシピ(だいたい3人分ぐらい)

あさり1パック
米 2合
しょうが 少々(チューブ入りでもOK)
調味料 塩 小さじ1弱、酒 大さじ1

■ あさりを洗って、砂をはかせる
■ 米をといで、水につける
■ 大き目のお皿(あれば耐熱皿)にあさりを入れて、お酒をかける
■ レンジであさりの酒蒸しを作る要領で、あさりを加熱する
  私は、お皿にだいたい2/3ぐらいラップをかけて、2分加熱。
  口が開いたのを取り除いて、30秒ぐらいずつ加熱。
  その後、口が開いたのを取り除いて、少し加熱を数回繰り返してるなぁ。
■ 蒸しあがったあさりと酒蒸しの汁をわける
■ 米を電気がまに入れて、酒蒸しの汁を入れてから、水加減をする
■ そこに、塩としょうがを加えて、普通に炊く
■ 炊き上がったら、蒸したあさりの身をはずしたのを混ぜ込む
  山椒のはっぱをのっけて、よそ行きにしてもええかも

(注)あさりまんまであって、ありのまんまではありません。

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拍手

初めて、フィギュアスケートを現地観戦した時、一番印象に残ったんは、拍手やった。

素晴らしい演技への拍手
実力を出しきれないでいる選手への拍手
成功はしなくても、大技に挑戦したことへの拍手

賞賛や激励や、一つ一つの技ごとに、会場はいろんな拍手に包まれて、緊迫した戦いの場でありながら、なんだか暖かい空気が生まれるんや。
そん時は、見てる側にも、実際にスケートに取組んできた人が多いんかなぁ、たった一人で観衆の前で演技することの難しさをよく知ってるからこそ、選手に対し、あんな拍手が贈れるんかなぁ、とか思ったんやった。

「他のどんなスポーツとも、拍手が違うんや」

そんなことを母に言うたら、「あんたが小さい頃、ようテレビでNHK杯とかつけてたから、あんたも、スケート見るのん好きになったんかなぁ。私は、寒いとこで育ったやろ。冬は校庭のとこに水を撒いたら、翌朝にはリンクができて、そこで、男の子はホッケー、女の子はスケートをしたもんや。そやから、おとなになっても、NHK杯とか見るのん、いっつも楽しみにしてたからなぁ。」って返されて、びっくりしたわ。

私は、てっきり、数年前に、自分でスケートってスポーツを見つけて、見るのん好きになったと思ってたんや。占い師やのに、またまた、生まれた環境や親の影響を過小評価してたみたいや。ほんま修行がたりんわ・・・ちゅう話はおいといて

言われれば、私には、確かに、昔、昔のNHK杯の記憶があるんや。伊藤みどり登場以前の・・・。
強豪国とはいえない国の選手が全力で挑んでも、優勝争いには、ずっと遠いとこにいる・・・今でも、国際大会でそういう光景は見るけど、日本が、スケートにおいて、その強豪国とはいえない国やった時代。
日本人がリンクに立つだけで、点数が0.1下がるとか、やっぱり欧米の選手には敵わないとか、そんな言葉を聞いた覚えもある。・・・。

スポーツ選手の選手生命は、ほんま短い。必死に挑んでも届かない・・・そやけど、その思いはそこで終わってまうもんやろか。
引退の後、コーチとなって、自分の夢を託すことやってあるやろ。
誰かの挑戦にインスパイアされて、次の選手が続くこともあるやろ。
そうして、一見、無謀にも無駄にも見えた挑戦は、いつか確かな形をとり、そして、実りの時を迎えることだって、あるのかも知れへん。

夢を追うこと、挑むこと、それが、いつか奇跡のような出来事を引き起こす
何人もの人の手をリレーされて

漫画や小説の中やなく、格言やことわざの中やなく、今、確かに現実として、目の前に、そんな光景があるんだとしたら・・・
人間の持つ可能性の大きさを信じさせてくれる現実の光景があるんだとしたら・・・
それを目の当たりにした私は、心からの拍手を贈るしか、ないやろ。

表彰台に立つ選手に贈られる拍手は、その選手に対するものと同時に、その選手に連なる幾千幾万の人たちの挑戦と努力に対するものでも、あるんかもなぁ。

■これは、東京で開催されるはずだった 「'11 フィギュアスケート世界選手権」によせて書いたもんやったんや。
 東北関東大震災で被災された方に心からお見舞いを申しあげるとともに、
 魂のこもった全力の演技から感動や勇気をもらえるような日が、また巡ってくることを祈ってます。

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