ちょい意外かも知れへんけど、小アルカナで戦ってるイメージの図柄は、剣よりも棒に多いと思うで。
剣は、鍛冶屋が緻密な工程をこなして、時間を経て生み出される大きな力を秘めた結晶のようなもん。
棒は、もとは、どこにでもありそうな木の枝。誰かが、その枝を自分の物として使おうとしたら、それだけで、棒。
Rider Waite Tarotでは、棒のほとんどは、芽吹いた状態で描かれてるんや。
棒自身が、持った人の気持ちに呼応できるように、命を宿したまんまやからかもな。
これからも、持ち主といっしょに成長していけるように。
棒を手にした人の「自分はこうしたいんや」って気持ち。
生まれたてのぱっと燃える思い。
剣が持つ、炎の中で鍛えられて得られた、開放されるまではしんと落ち着いた大きなエネルギーとは違って、まだ未成熟ではあるけど。
だからこそ、てらいもなく、まっすぐに、「自分はこうしたいんや」って言えるんかもな。
棒の中でも、戦ってるってイメージが一番強いのは、棒7かいな。
棒5ちゅうのもありやけど、あっちは、同年代のもん同士で、競い合ってるようなじゃれあってるような感じやしな。
棒7の人は、大声で「自分はこうしたいんや」って言ってみたんや。
そしたら返ってきたんは、「そんなもん、あかんにきまってるやろ!」って厳しい突込み。
でっ、棒7の人は、たった一人で奮戦ちゅうや。
「あかんにきまってるやろって言われたぐらいで、引き下がれるわけないやろ」って。
ちょいと親子喧嘩みたいかなぁ。ひょっとしたら、世の中の壁と戦ってたりして。
彼は、自分の棒と一緒に、こうしたいんやって方向へ進んでいけるやろか。
世間知らずやって言われたらそうかも知れへん。
そんなに簡単に行ったら苦労ないわって言われたらそうかも知れへん。
そやけど全ては、「自分はこうしたいんや」から始まるんとちゃうやろか。
このHPに来てくれはる方は、基本、占い好きな人やから、昔、マイバースディを読んでたって人も多いやろな。
今は、休刊になってしもてるけど、ティーンエイジャー向けの月間の占い雑誌やったんや。
でな、24年の暮れに1号限りの復刊が出て、もちろん、私も買ってみたんや。
改めて読んでみると、この本を読む少女たちが、やさしく、強く、魅力的な女性に成長していきますように・・・って思いが、一つ一つの占いやちょっとした文章のそこかしこに、隠されてるんやわ。
当時は、そんなこと感じなかったんやけど、今は感じるってことは、おばちゃんになったんやなぁ、魅力的な女性を飛び越えて・・・
それは、さておき、このHPの有名人のホロスコープのコーナーが生まれた遠い遠いきっかけは、マイバースディやってんで。
当時、ホロスコープの解説めいたもんは、まだまだ珍しかったんやけど、マイバースディの特集で、歴史上の人物や、有名人さんのホロスコープを取り上げてたんや。
山口百恵さんやマリー・アントワネットさんのも、あったなぁ。むさぼるように読んだっけ。
でっ、それから相当の年月が経ったある日、あぁいうのを今の私ならではのかたちで書けたらええなぁって、ふと思ったんや。
タロットカードの聖杯と金貨って、兄弟みたいに似てるなぁ。
トランプで言うと、ハートとダイヤで、どっちも赤やし・・・ちゅうのは置いといて。
兄弟みたいに似てるちゅうのは、共通点があるからこそ、お互いの違いが余計に目立つってことでもあるんや。そやから、双子みたいに似てる、ちゅうのとは、ちょいと違うんや。
棒と剣は、私はこう思う、私はこうしたいちゅうのが前面に出たスートやけど、聖杯と金貨は、どっか他の人を意識してるスートやで。
金貨は、お金で、対価でもあって、周りからの評価ってこっちゃ。
単に知り合いやからとか、お付き合いで、ちゅうのやのうて、自分のしたことに対して、誰かが価値を認めてくれて、初めてほんまもんの評価になるんや。
価値を認めてもらえたら、それが信頼に繋がって、より大きなチャンスがやってくる。
あんたのやることを待ち望んでる人ができてくる。
人とかかわりながら、現実的な道を一歩、また、一歩。
そうやって、いろんなもんが巡るんや。
一方、聖杯は、ずっと直感的、感覚的や。
たとえば、道端で子猫を見かけて、なでてみたいって思う時。
どんな得があるんかとか考えたりせえへん。
かわいいって気持ちだけで、すっと手が動いてる。
なでられて気持ちがええんか、子猫もそっと身体を預けてくる。
それがうれしくって、もっともっと、なでてあげたくなってくる。
そうやって、暖かい気持ちが行き交っていくんや。
聖杯9って、金貨と聖杯の境界線近くにあるカードかもな。
Rider Waite Tarotでは、9個の聖杯をバックに、なんやえらそうにでっぷりふとったおっちゃんが座ってるとこが描かれてるやろ。
ウイッシュカードとも言われてて、ものすごええカードらしいんやけど、最初の頃は、ようわからんかった。
幸せちゅうたら、次の聖杯10の図柄の方が、よっぽど、似合ってるし。
占ってて、このおっちゃんに出会っても、そんなうれしい気持ちにはならへんやろしな。
このおっちゃん、商人なんやけど、彼の後ろの聖杯には、気持ちがいっぱい詰まってるんや。
あの人には、こういう品がええんとちゃうやろか。
前、こんなんがあったら・・・って言ってはったから、これやったら、気に入ってもらえるんとちゃうやろか。
そうやって、彼は、お得意さんに、品物を届け、お客さんは、おおきにって心からの感謝と一緒に彼にお金を払うんや。そんで、彼はそのお金をもとに、次の品物を探しに出かけて・・・
品物やお金といっしょに、思いも行き交っていくんや。
そう思って見てみると、このおっちゃん、大黒様か、サンタクロースみたいに見えてきたりして。
私らに、心のこもったもんを届けてくれる存在。
うん、聖杯9は確かにウイッシュカードなんかもな。
聖杯9が、心のこもった商品を届けてくれる商人さんのカードなら、金貨9は、その商人さんのプライベートかもな。いや、ひょっとしたら、聖杯9の商人さんが、商品を届けたお得意さんのプライベートかもな。
黄金色に輝く庭園では、ぶどうが実りの時を迎え、この人の左手のところには、鳥が留まり、いかにもゴージャスって感じや。豊かさを満喫してるってカードやなぁ。
そやけど、この人の右手は金貨の上に置かれてるんや。この豊かさは、築き上げてきたもんの上にあるってこっちゃ。
そやから、このカードが逆位置で出てきたら、耳が痛いで。
大概は、土台もないのに豊かさだけを満喫しようとしてるってことやからな。
おいしいもん食べたいから、きれいな服着たいから、がんばって仕事する・・・それはアリやろけど、することせえへんで、おいしいもん食べたり、きれいな服、着てたらあかんやろ。
自分はいくらなんでも、それはないって思うかなぁ。そやけど、この話は、結構怖いんや。
快適で便利な生活に慣れすぎると、いつの間にか、土台のこと、忘れてしまうからなぁ。
身のまわりにある豊かさを豊かさとも思わんようになってたりするんでな。
ところで、聖杯と金貨って、どっちが兄でどっちが弟やろ。
やっぱり、金貨が地味目で現実的なしっかりもんのお兄ちゃんで、聖杯がちょっぴりやんちゃで憎めない弟やろか。