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棒8

  ウィキペディア(英語)の棒8のページ

棒8って特別なカード。

なんてったって、人物が描かれてないんやわ。あっと、Rider Waite Tarot での話、な。

人物が描かれてへんカードって、ほとんど唯一やで。
ほとんどちゅうのは、エースのカードの手はなんやねんとか、大アルカナに出てくるのは人物やのうて神性を宿したもんやとか、剣3のハートはなんなんやとか、そういう突っ込みがあるからな。

ともあれ、山やら川やらを背景にして描かれてるのは8本の棒ちゅう、変わったカードやで。

また、これが小アルカナやちゅうのがおもろいとこやわ。
ちゅうのは、小アルカナって、登場する人物を見てたら、なんとなく意味がわかってくるってとこあるんやわ。
この人、どんな人なんやろ?今、何をしてはるんやろ?なんで、こんなんなったんやろ?今、どんな気分なんやろ?
それがそのまんま、カードの意味につながってくからなぁ。

棒8のカードを見て、目に映るのは、棒・棒・棒・・・。
要は、人がどうこうして、どうにかなったってもんやないってことや。

こっちが、予想してた、想定してたわけやないのに、棒・棒・棒や。
こんな時は、なんで棒・棒・棒なんや!って叫んでみても始まらへんやろ。

準備不足かも知れへんけど、今の状況を自分の目で見て、どうしたらええかを必死で考えて、動けるだけ動いてみる。
待ったなし、やからな。
そういう時に身につくもんって、他では、なかなか身につかへんもんやで。

気まぐれに吹いてきた風でも、帆を立てて、船出することはできるはずや。
入り江のとこで、ぼんやりしてても、しゃーないやろ。

大海原に出たら、そっからは、運半分、実力半分かも知れへんけどな。

ともあれ、行ってらっしゃい!グッド、ラック!

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棒6

  ウィキペディア(英語)の棒6のページ

Rider Waite Tarot で白い馬に乗った王子様っていうと、聖杯ナイトやなぁ。あと、死神ちゅうのもありか。
そやけど、棒6のカードかて白い馬やで。

白い馬に乗った彼は、月桂樹のリースのついた棒を掲げて、晴れがましいセレモニーの主役として拍手・喝采で出迎えられてるとこや。
白い馬は、晴れ舞台には、よう似合うわ。

彼の周りには、何人かの人が描かれてて、いっしょに歩いてはる。
そやけど、彼だけが馬に乗って、一番高く棒を掲げてるってことは、彼がリーダー格やったんやろな。

このカード、凱旋のカードって言われるかな。

まぁ、今の私らに凱旋って、ぴんとけえへんけど。オリンピックとかスポーツで目覚しい成績を残した選手の祝賀パレードとか、かなぁ。まぁ、一昔前は、ちょうちん行列とかあったんやけど・・・。

協力者を得て、努力の甲斐あって、成功を勝ち取る。そんで、多くの人に称えられ、祝福される。

たとえば、仕事で成果をあげる、試験に合格する、ちょっと変わったとこだと、遠距離の彼が戻ってくる。

ずっと、追いかけてきた夢が現実になる。

おとぎ話のラストシーンように、鬼退治に成功してたくさんの宝物を持って故郷に帰り、おじいさんとおばあさんといっしょにいつまでも幸せに暮らしました、とか、王子様はお姫様と結婚し、国中から祝福を受けました、とか。

まぁ、私らの生活がおとぎ話とちゃうとこは、お祝いモードの一日が過ぎると、まっさらな次の日がやってくるってことやろけど。
ほんまに大事なんは、そこからなんやで。特に、資格なんかは取得するのに意味があるんやのうて、それを使って何をするか、やからな。

ともあれ、振り返ってみて、あの時、あそこでがんばって手にした物のおかげで今の自分があるって局面はあるもの。
そやから、登竜門なんて言葉もあるんやろうな。
ここが、せっしょ、ここを超えたら、大きく展望が開けるってな。

このカードと縁があった時は、もうちょっとで、追い求めてたもんに手が届きそうやってサイン。
しかも、正々堂々と正面突破や。
めでたし、めでたしの最終回のためと、その後に広がる可能性のために。
全力でがんばるんやで。

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書くこと・覚えとくこと

子どもの頃から、記憶力が悪かったんやけど、この頃、いっそうひどなってしもてな。

映画やお芝居見ても、本読んでも、しばらくしたら、全部、通り過ぎていったみたいになってしもて。
心のどこかが覚えてるちゅうたら、覚えてるんやろけど、頭は真っ白ってちょいとさみしいで。

そやから、書くこと、もうちょっと大事にしようと思ってな。

思ったこと、感じたこと、メモしといたら、それを読むたび、感動で胸がいっぱいになった時の感覚、思い出せるやろ。
もう一度、DVDや本を見返さへんでも、その時のこと、ものすご鮮やかや。

学生の頃は、何かを覚えようと思ったら、必死で覚えようとしたわな。
廃藩置県とか、フォッサマグナとか、本居宣長とか、ノートに何度も繰り返し書いたり。
そんなんは、あんまりしたくないけど、いつまでも忘れたくないことには、標識をきっちり立てとかへんとな。

学生時代、授業中に、「あんたらの年頃は日記を書かなあかん」って言われたことあったなぁ。
「○月○日、こんなことがありました」って小学生がつづり方の練習のために書くようなんやのうて、その時、自分が考え、悩んでることをとにかく文字にして客観的に捉え、再読して、熟考するために日記を書けって、な。

この年になると、今度は、考えを熟成するためやのうて、覚えてるために書くわけかぁ。
そやけど、日記読書感想文も、なかなかにええで。

自分だけのもんなら単なるメモでええんやけど、読み手を意識して、ちょいと背筋を伸ばしてよそ行きの気分で・・・書いてみるのってええもんや。

そやそや、絵を描くのが得意やったら、いっそ、絵日記でも書いてみるかい?
前に、大人の塗り絵がはやったけど、大人の絵日記ってどうやろ?

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