こわいもん知らずって言葉あるやろ。
ただ、ただ、全力前進や。
失敗することなんて、へとも思ってへん。
そんなんやってたら、変に思われたり、悪く取られたりするかも知れへんで・・・なんて、考えてもみいへん。
でっ、思いっきりぶつかって・・・
こわいもんを知ったのが、このカードや。棒9。
頭の怪我は、こわいもんの置き土産や。
痛かったんやろなぁ。いや、今でも、まだ、痛そうや。
そんで、バリケードみたいに棒を並べてみたんかなぁ。
その中に隠れてたら、二度とあんな目に会わんですむやろ。
彼の目は、用心深く、周りの様子をうかがってるで。
そやけど、ちょいと臆病すぎはせんやろか。
あつものにこりてなますをふく・・・ってか。
まぁ、そやけど、痛い目にあってこわさを知るのも、知恵の始まりや。
攻めしか知らなかったんが、守ることを知る時でもあるし、な
無鉄砲に力まかせに走り回るんやのうて、いつ、どんなふうに、動いてみたらええんか。
どこから情報を仕入れ、どんなツテを探したらええんか。
同じ一生懸命やるんでも、やみくもに一生懸命なだけでは、単なる自己満足や。
勢いと気持ちだけでなんとかなるんやったら、とっくに、他の人かて、なんとかなってるやろ。
どんな場所で、どんなとこに、まずは力を注ぐんかを考えんとな。
痛い目にあった後には、次のステージに進むチャンスがやってくるで。
痛い目にあったことを単に痛い目にあったで終わらせてまうんか・・・
ずっと時間がたってから、甘酸っぱい思いで振り返って、あの頃は無茶したなぁって思えるようになるんか・・・
ともあれ、ここから、また新たなスタートや。
ほどよく、何かをこわがるちゅうのは、大事なことなんかもな。
ブタの夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ
夫のブタが目をさまし 女房のブタにいったとさ
いま見た夢はこわい夢
オレとおまえが殺されて こんがり カツにあげられて
みんなに食われた 夢を見た
女房のブタが驚いて あたりのようすを みるならば
いままで寝ていた その場所は
キャベツ畑であったとさ
子どもの頃、よう父から聞いたんや。
「なんで、キャベツ畑なん?」って尋ねたら、「トンカツは山盛りのキャベツにのってるもんやろ」って。
リズムがよくて、ユーモラスで・・・かわいい絵本になりそうやろ。
長い間、誰の作品か、知らんかったんやけど、先日、ひょんなことから、わかってな。
終戦間もない頃、大ブレークして、そのさなかに若くして亡くなられた三代目三遊亭歌笑さんの「歌笑純情詩集」やったんや。
落語の枕に語られてたらしいんや。
ほんま、口ずさみたくなるわぁ。
舶来の品なんて言葉は、ほとんど聞かへんようになったけど、遠い国からやってきたもんは、それだけで憧れやった。
今は、海外旅行のお土産をもらうことも、そんなに珍しいことやのうなったけど、初めて海外のブランドの香水やらチョコレートやらもらった時は、ほんま、どきどきしたで。
包み紙ひとつでも、見慣れたものとはまるでちごてたし、外国のコインやら、新聞紙やら、絵葉書やら、どんなもんも宝物みたいやった。
ほな、南蛮貿易で金平糖を初めて手にした戦国武将たちは、何を思ったんやろ。
昔、昔から、海を行く船や港は、新たな文化との出会いや富の象徴や。
そやから、棒3の海は黄金色なんやろか。
新たな文化との出会いには、どきどきと不安が交じり合うもん。
向こうから、いらっしゃいって歓迎してくれることもあるけど、あんた、なんやのん!って拒絶されることもある。
どっちか一方、ちゅうより、その両方が混じってることもあるなぁ。
すごいなぁ、面白いなぁって思ったり、私って、やっぱり、よそもんなんやって痛感したり。
海外に行くときは、言葉を学んでから行くように・・・って、まぁ、当たり前ちゅうたら当たり前やけどな。
相手と意思疎通ができるように、そんで、相手の懐に入れるように。
そやけど、専門家同士が、お互い語学は得意やないのに、技術を通じて、じかにやり取りして、びっくりいした・・・って通訳の人が言ってたことがあったなぁ。
トイレはどこ?も通じへんのに、土木技術の話はできるんやて。
何かに秀でること、何かに情熱を持つことは、それだけで、通じることなんかもなぁ。
そしたら、逆に、自分の小ささを感じることも・・・。
相手のやり方・考え方には、自分と同じやないとこもある。
そやけど、相手とそっくり同じにならんでもええ。
相手は相手、自分は自分のまま、まずは、にっこり笑って挨拶して、いろんな話をしてみよや。
そうやって、いろんな物が行き交っていくんやろ。
港は、交易や交流の象徴や。 あこがれ一つで港を目指した日は、多くの経験を経て、どこにつながっていくんやろな。