拍手

初めて、フィギュアスケートを現地観戦した時、一番印象に残ったんは、拍手やった。

素晴らしい演技への拍手
実力を出しきれないでいる選手への拍手
成功はしなくても、大技に挑戦したことへの拍手

賞賛や激励や、一つ一つの技ごとに、会場はいろんな拍手に包まれて、緊迫した戦いの場でありながら、なんだか暖かい空気が生まれるんや。
そん時は、見てる側にも、実際にスケートに取組んできた人が多いんかなぁ、たった一人で観衆の前で演技することの難しさをよく知ってるからこそ、選手に対し、あんな拍手が贈れるんかなぁ、とか思ったんやった。

「他のどんなスポーツとも、拍手が違うんや」

そんなことを母に言うたら、「あんたが小さい頃、ようテレビでNHK杯とかつけてたから、あんたも、スケート見るのん好きになったんかなぁ。私は、寒いとこで育ったやろ。冬は校庭のとこに水を撒いたら、翌朝にはリンクができて、そこで、男の子はホッケー、女の子はスケートをしたもんや。そやから、おとなになっても、NHK杯とか見るのん、いっつも楽しみにしてたからなぁ。」って返されて、びっくりしたわ。

私は、てっきり、自分でスケートってスポーツを見つけて、見るのん好きになったと思ってたんや。占い師やのに、またまた、生まれた環境や親の影響を過小評価してたみたいや。ほんま修行がたりんわ・・・ちゅう話はおいといて

言われれば、私には、確かに、昔、昔のNHK杯の記憶があるんや。伊藤みどり登場以前の・・・。
強豪国とはいえない国の選手が全力で挑んでも、優勝争いには、ずっと遠いとこにいる・・・今でも、国際大会でそういう光景は見るけど、日本が、スケートにおいて、その強豪国とはいえない国やった時代。
日本人がリンクに立つだけで、点数が0.1下がるとか、やっぱり欧米の選手には敵わないとか、そんな言葉を聞いた覚えもある。・・・。

スポーツ選手の選手生命は、ほんま短い。必死に挑んでも届かない・・・そやけど、その思いはそこで終わってまうもんやろか。
引退の後、コーチとなって、自分の夢を託すことやってあるやろ。
誰かの挑戦にインスパイアされて、次の選手が続くこともあるやろ。
そうして、一見、無謀にも無駄にも見えた挑戦は、いつか確かな形をとり、そして、実りの時を迎えることだって、あるのかも知れへん。

夢を追うこと、挑むこと、それが、いつか奇跡のような出来事を引き起こす
何人もの人の手をリレーされて

漫画や小説の中やなく、格言やことわざの中やなく、今、確かに現実として、目の前に、そんな光景があるんだとしたら・・・
人間の持つ可能性の大きさを信じさせてくれる現実の光景があるんだとしたら・・・
それを目の当たりにした私は、心からの拍手を贈るしか、ないやろ。

表彰台に立つ選手に贈られる拍手は、その選手に対するものと同時に、その選手に連なる幾千幾万の人たちの挑戦と努力に対するものでも、あるんかもなぁ。

■これは、東京で開催されるはずだった「’11 フィギュアスケート世界選手権」によせて書いたもんやったんや。
 東北関東大震災で被災された方に心からお見舞いを申しあげるとともに、魂のこもった全力の演技から感動や勇気をもらえるような日が、また巡ってくることを祈ってます。

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