タロットカードの聖杯と金貨って、兄弟みたいに似てるなぁ。
トランプで言うと、ハートとダイヤで、どっちも赤やし・・・ちゅうのは置いといて。
兄弟みたいに似てるちゅうのは、共通点があるからこそ、お互いの違いが余計に目立つってことでもあるんや。そやから、双子みたいに似てる、ちゅうのとは、ちょいと違うんや。
棒と剣は、私はこう思う、私はこうしたいちゅうのが前面に出たスートやけど、聖杯と金貨は、どっか他の人を意識してるスートやで。
金貨は、お金で、対価でもあって、周りからの評価ってこっちゃ。
単に知り合いやからとか、お付き合いで、ちゅうのやのうて、自分のしたことに対して、誰かが価値を認めてくれて、初めてほんまもんの評価になるんや。
価値を認めてもらえたら、それが信頼に繋がって、より大きなチャンスがやってくる。
あんたのやることを待ち望んでる人ができてくる。
人とかかわりながら、現実的な道を一歩、また、一歩。
そうやって、いろんなもんが巡るんや。
一方、聖杯は、ずっと直感的、感覚的や。
たとえば、道端で子猫を見かけて、なでてみたいって思う時。
どんな得があるんかとか考えたりせえへん。
かわいいって気持ちだけで、すっと手が動いてる。
なでられて気持ちがええんか、子猫もそっと身体を預けてくる。
それがうれしくって、もっともっと、なでてあげたくなってくる。
そうやって、暖かい気持ちが行き交っていくんや。
聖杯9って、金貨と聖杯の境界線近くにあるカードかもな。
Rider Waite Tarotでは、9個の聖杯をバックに、なんやえらそうにでっぷりふとったおっちゃんが座ってるとこが描かれてるやろ。
ウイッシュカードとも言われてて、ものすごええカードらしいんやけど、最初の頃は、ようわからんかった。
幸せちゅうたら、次の聖杯10の図柄の方が、よっぽど、似合ってるし。
占ってて、このおっちゃんに出会っても、そんなうれしい気持ちにはならへんやろしな。
このおっちゃん、商人なんやけど、彼の後ろの聖杯には、気持ちがいっぱい詰まってるんや。
あの人には、こういう品がええんとちゃうやろか。
前、こんなんがあったら・・・って言ってはったから、これやったら、気に入ってもらえるんとちゃうやろか。
そうやって、彼は、お得意さんに、品物を届け、お客さんは、おおきにって心からの感謝と一緒に彼にお金を払うんや。そんで、彼はそのお金をもとに、次の品物を探しに出かけて・・・
品物やお金といっしょに、思いも行き交っていくんや。
そう思って見てみると、このおっちゃん、大黒様か、サンタクロースみたいに見えてきたりして。
私らに、心のこもったもんを届けてくれる存在。
うん、聖杯9は確かにウイッシュカードなんかもな。
聖杯9が、心のこもった商品を届けてくれる商人さんのカードなら、金貨9は、その商人さんのプライベートかもな。いや、ひょっとしたら、聖杯9の商人さんが、商品を届けたお得意さんのプライベートかもな。
黄金色に輝く庭園では、ぶどうが実りの時を迎え、この人の左手のところには、鳥が留まり、いかにもゴージャスって感じや。豊かさを満喫してるってカードやなぁ。
そやけど、この人の右手は金貨の上に置かれてるんや。この豊かさは、築き上げてきたもんの上にあるってこっちゃ。
そやから、このカードが逆位置で出てきたら、耳が痛いで。
大概は、土台もないのに豊かさだけを満喫しようとしてるってことやからな。
おいしいもん食べたいから、きれいな服着たいから、がんばって仕事する・・・それはアリやろけど、することせえへんで、おいしいもん食べたり、きれいな服、着てたらあかんやろ。
自分はいくらなんでも、それはないって思うかなぁ。そやけど、この話は、結構怖いんや。
快適で便利な生活に慣れすぎると、いつの間にか、土台のこと、忘れてしまうからなぁ。
身のまわりにある豊かさを豊かさとも思わんようになってたりするんでな。
ところで、聖杯と金貨って、どっちが兄でどっちが弟やろ。
やっぱり、金貨が地味目で現実的なしっかりもんのお兄ちゃんで、聖杯がちょっぴりやんちゃで憎めない弟やろか。
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